成功加入购物车

去购物车结算 X
山景的书摊
  • 日文九品 項羽と劉邦日文上中下三本合售, 司馬 遼太郎著) 热销人气低价合售可单售品相大字高级纸张非翻译版本日语中国古典文学收藏系列多版本多特色收藏珍藏科研论文瞩目话题现在白话文体

日文九品 項羽と劉邦日文上中下三本合售, 司馬 遼太郎著) 热销人气低价合售可单售品相大字高级纸张非翻译版本日语中国古典文学收藏系列多版本多特色收藏珍藏科研论文瞩目话题现在白话文体

举报
  • 作者: 
  • 出版社:   日本 新潮文库 大字高级纸非翻译版本日语中国古典文学收藏系列多版本多特色收藏珍藏科研论文瞩目话题现在白话文体
  • 出版时间: 
  • 版次:   1
  • 印刷时间:   2006-11
  • 印数:   3千册
  • 装帧:   软精装
  • 页数:   486页
  • 字数:   631千字
  • 作者: 
  • 出版社:  日本 新潮文库 大字高级纸非翻译版本日语中国古典文学收藏系列多版本多特色收藏珍藏科研论文瞩目话题现在白话文体
  • 出版时间: 
  • 版次:  1
  • 印刷时间:  2006-11
  • 印数:  3千册
  • 装帧:  软精装
  • 页数:  486页
  • 字数:  631千字

售价 48.95 5.4折

定价 ¥89.96 

品相 九品品相描述

优惠 满包邮

运费

上书时间2019-04-18

数量
仅1件在售,欲购从速
微信扫描下方二维码
微信扫描打开成功后,点击右上角”...“进行转发

卖家超过10天未登录

  • 商品详情
  • 店铺评价
  • 商品分类:
    外文原版 > 日文书 > 历史
    货号:
    1316-16326-scsbkr123
    品相描述:九品
    文献 項羽と劉邦(上中下)三本合售45元,司馬 遼太郎著) 热销人气最低价合售可单售品相大字高级纸张非翻译版本日语中国古典文学收藏系列多版本多特色收藏珍藏科研论文瞩目话题现在白话文体 紀元前3世紀末、秦の始皇帝は中国史上初の統一帝国を創出し戦国時代に終止符をうった。しかし彼の死後、秦の統制力は弱まり、陳勝・呉広の一揆がおこると、天下は再び大乱の時代に入る。――これは、沛のごろつき上がりの劉邦が、楚の猛将・項羽と天下を争って、百敗しつつもついに楚を破り漢帝国を樹立するまでをとおし、天下を制する“人望”とは何かをきわめつくした物語である。 ※当電子版は『項羽と劉邦』(上)(中)(下)の全三巻をまとめた合本版です。 紀元前3世紀末、秦の始皇帝は中国史上初の統一帝国を創出し戦国時代に終止符をうった。しかし彼の死後、秦の統制力は弱まり、陳勝・呉広の一揆がおこると、天下は再び大乱の
    商品描述:
    文献 項羽と劉邦(上中下)三本合售,元 司馬 遼太郎著) 热销人气最低价合售可单售品相大字高级纸张非翻译版本日语中国古典文学收藏系列多版本多特色收藏珍藏科研论文瞩目话题现在白话文体
    文庫: 435ページ
    出版社: 新潮社; 改版 (1984/9/27)
    言語: 日本語
    ISBN-10: 4101152322
    ISBN-13: 978-4101152325
    発売日: 1984/9/27
    商品パッケージの寸法: 15 x 11 x 1.5 cm
    おすすめ度: 5つ星のうち 4.6   21件のカスタマーレビュー
    Amazon 売れ筋ランキング: 本 - 7,156位 (本の売れ筋ランキングを見る)
    76位 ─ 本 > 文学・評論 > 歴史・時代小説
    153位
     中巻のみの読後感です。

     お話はいよいよ劉邦の関中入りから、彭城での敗戦、敗走、栄陽城籠城、そして紀信と
    周荷のお話に続きます。

     司馬遷の史記というのは、よほど偉大な作品なのでしょう。横山作品と、司馬作品では、
    韓信の割符、蜀から関中入りのお話に相違がある以外には、殆どその差がありません。
    原作の偉大さが伺われます。

     そこはそこで、やはり司馬作品ならではの特徴を挙げるとしたら紀信と周荷のお話で
    しょう。同じように横山作品でも感動を誘うお話として描かれていますが、司馬作品では、
    味付けがされており、男心を描いたストーリーとして描かれており、秀逸です。

     横山作品でも劉邦は弱かったのですが、韓信とともに関中に入る際、連戦連勝。ここまで
    弱い印象はありません。ところが司馬作品では、劉邦はとにかく弱い。弱くて、だらしが
    なくて、助平で。
     どうして周荷と紀信のお話が
    ※下記のレビューは中巻を読んだ段階のものである。
     やはり、全体的に淡々としていて盛り上がりに欠けている、という印象。鴻門の会とか、みどころはいろいろあるはずなのだが、全体的に物語的(同じ目線的)というよりは解説的(俯瞰的)というのもある。
     当時は封建制というのは上からかぶさってくるようなもので、侠(きょう)という相互扶助精神により下層民が結びつくことで社会が構成されている。劉邦は、中国史上唯一の無学の農民から皇帝になった人だが、これは「侠」という価値観に基づく集団形成が寄与したのかも。中巻は韓信のためにある。そう言っても過言ではないであろう。前漢を樹立するにあたって劉邦を支えた三傑(Triplets)、すなわち蕭何、張良、韓信。蕭何は兵站(ロジスティックス)と民生の達人、張良はフレキシブルな軍師、韓信は無敗の軍才を持つ。

    韓信は後世に伝わるエピソードが多い。股くぐりを嘲笑されるかと思えば、国士無双。背水の陣、敵の半渡に乗ず、など。また、本書に登場するが、漢中から関中に攻め入るにあたっての入念な土木工事、人民にたいするオルグ、水攻め。電光石火の勢いで、関中を平定。

    韓信が劉邦軍の大将軍になるにあたっての劉邦との対話。ハーバード流説得術である。劉邦は、ここで自己にめざめる。同席した蕭何らも耳をそばだたせる。韓信は、SWOT(Strength, Weakness, Opportunity, Threat) をロジカルに説いた。韓信の目が青く光ったというのは、著者の想像力である。

    韓信には、無双の軍才と子供っぽさが同居していた。レキ食其は、あいかわらず古い長剣を手放さない韓信をからかい、そして愛する。

    ころがりこんで来た成功を劉邦はあつかいかねる。気がおおきくなった劉邦は、項羽が斉を攻めていて留守にしていた彭城を大軍で占領するが、軍は統制がとれておらず、小軍をひきいて駈け戻った項羽に惨敗を喫する。楚漢戦史の実質的な幕開けである。

    韓信は着実に領土を拡大するが、戦に弱い劉邦に兵力を補給し続けなければならない。焼け石に水。それでも、斉をめざす。

    本書は、他にも豊富なエピソードが満載であるが、あえて韓信に絞ってご紹介した
    項羽の強さは中国の歴史の中でも、三国志の呂布と並ぶものであろう史上最強である。
    劉邦は連戦連敗、今後どうなるのか

    中巻からいよいよ楚漢戦争が本格化し、タイトル通り、不倶戴天の2人にスポットライトが当てられる。
    項羽ははたして人なのか。彭城(ほうじょう)において、劉邦率いる反楚勢力総勢56万を、たった3万の兵をもって潰走させる様は鬼神と見紛うばかり。劉邦はひたすらに敗れ、臆面もなく逃げ、情けなくも平伏し、性懲りもなく再起してはまた敗れる。が、敗れながらも、徐々に優れた人材が項羽から劉邦のもとへ流れ始め、パワーバランスが静かに変わっていくところに妙がある。
    項羽には何が欠けていたのか。人望がない、徳がない。後世よく評されるところだが、司馬はあまりそう描かない。憎めば平気で人を穴埋めにする一面、気に入った相手は大いに愛し、咎も許す。かの有名な「鴻門の会」においては、劉邦の警護役、樊カイの勇敢な直言を「これこそ壮士だ」と受け入れ、劉邦を許す。そんな寛大さもある。感情の起伏に富み、大いに魅力ある人物ではないか。時に部下を軽く扱うこともあるが、それは劉邦も同じ。
    だからこそ、項羽と劉邦の逆転は示唆に富む。項羽、というより楚に最も欠けていたのは人を引き寄せるメカニズムだろう。夏侯嬰や蕭何が韓信を見出したように、陳平が魏無知の伝手で新たに加わったように、劉邦単独の人望うんぬんではなく、漢には人が人を呼ぶ気風と仕組みがあった。この重要性は、私たちも本能的に知っている。社長や人事部がいかに笛吹けども、結局は組織全体に求心力がなければ、人は集まらないのだ。
    軍師の知恵比べも、中巻の見所のひとつ。漢の張良・陳平と楚の范増が、丁々発止の知の戦いを繰り広げる。思い通りに事を運べない范増が、内心で項羽を「小僧」と罵る様が、可笑しい。良い軍師とは良い策を立案するだけでなく、それを実行に移してこそ。項羽を制御しきれない范増には、人の心のあやを汲み取る何かが欠けているのだろう。
    二千年前の死闘は、現在を生きる私たちにも、無数のヒントを与えてくれる。

    劉邦はまれにみる長者だ。 長者とは人を包容し,人のささいな罪や欠点を見ず,その長所や功績をほめて(途中略)その人物に接するなんとも言えぬ大きさと温かさを感じる存在を言う。劉邦にはそういうものがあった。言いかえれば,劉邦の持ち物はそれしかない。(本文より一部抜粋)  このような大アホの劉邦にきちがいじみた大馬鹿項羽。この二人が天下を争ったのはよほど中国のその時代に人物が居なかったのか? しかし,この劉邦の性格が簫何を張良をそして韓信を引きつけ天下を取っていく。孔明とまで行かないまでも張良いいね。考えるに劉氏というのはそういう血族なのか 劉備にしても劉邦にしても自分には突出した才能が無いのにね。まあ 優れた部下を手に入れ使いこなすのもすごい才能であることは確かだけどね。 さあて
    歴史に偉人を期待するのはなぜだろうか、
    勧善懲悪などありえないと思いながら、
    完璧な人格など絵空事だと知りながら、
    偉業を称え人を崇めたくなる心の悲しさ。
    この本新聞記事のルポ物を読むようだ。
    勿論著者の類まれな推理と想像の「物語り」なのだが。
    とにかくおもしろい。
    常識を
     この物語の面白さは項羽と劉邦以外の個性豊なキャラクターたちである。その一人一人だけでも主人公としてやって行けそうである。
     いよいよ本官では項羽と劉邦の本格的な対決が始まる。圧倒的に項羽の圧勝である。
     しかし多くのキャラクターたちは劉邦を愛し、劉邦のために尽くす。結論から言うと劉邦は多くの部下に恵まれ勝利を得るのだが、そこから人材
    項羽は楚の人でした。当然ながら項羽軍は楚出身兵が多く、又項羽自身も楚人を重用します。決着のつかない劉邦、項羽の戦いは常に項羽が攻め、劉邦が逃げる構図です。劉邦は自らの弱さを知っているため逃げるときに必ず食糧の在り処に逃げ込みます。劉邦は穀倉のある山に登って項羽と対峙します。項羽は劉邦を挑発し引っ張り出して遂に強弩が劉邦を捉えます。運よく一命を取り留めた劉邦ですが余りの項羽の強さに一人で山をおり逃げてしまいます。ところが優勢な項羽軍は食糧が尽きていました。休戦となり陣形を崩した項羽軍を劉邦は約束を破り追撃します。項羽はたちまち劉邦を撃破。逃げ込んだ城で劉邦は巨大勢力となった韓信らに広大な地域を与えることを条件に援軍を要請し、形勢は逆転。食料のなくなった項羽軍から兵が次第にいなくなってゆきます。一夜明けてみると項羽軍の立てこもる城の周りで楚の歌が湧き上がっていました。そのとき項羽は悟ります。二人の英雄の勝負は遂に終わりが来ます。その最後は壮絶なものでした。中国古典「史記」を現代に甦らせた大作。読み終えてしばし陶然となるような強烈なドラマでしー
    劉邦は後に漢を起こし、高祖と呼ばれます。項羽と共に秦反乱軍にいますが項羽と比較すると圧倒的に小さい存在でした。反乱軍の中心は軍神のごとき項羽です。項羽が秦の強兵にてこずっている間に劉邦が秦の都を落としてしまいました。項羽はこれに激怒。劉邦は命乞いをし、一命をとりとめますが与えられた土地が「漢」でした。漢は殆ど島流しのような場所でした。しかし劉邦はそこから自らを漢軍と名乗り今度は項羽軍に挑みます。劉邦は戦えば必ず負ける将でした。何度も急死に一生を得ます。しかし、部下には好かれています。一方項羽は神の如き強者でありながら天下を平定できません。これがこの物語のテーマとなっています。劉邦の部下に韓信がいます。項羽の軍にいたのですが起用されないまま、失意のうちに劉邦に仕えます。劉邦も韓信の才能は分からないのですが、別の部下から諭されて重用します。その韓信こそが項羽にも匹敵するやも分からぬ名将でした。「背水の陣」の故事はこの韓信の立てた作戦に由来します。負け続けながらも、部下のアイデアを最大限に起用しながらなんとか耐え忍んでゆく劉邦。なぜ劉邦は漢を起こせたのか?項羽でなくなぜ劉邦が?古典を読むような面白さ
     この『項羽と劉邦 中』からいよいよ項羽vs劉邦という図式がはっきりと浮き上がってきます。そして、ものの見事に劉邦が負けまくります。
     後の勝者がこれまで見事に負けまくるというのは稀有なのではないでしょうか。
     それでは、劉邦が負けまくっているにもかかわらず、なぜ配下の人間達は彼を見捨てることなく、彼を支え続け、最後には勝利へ導いたのでしょうか?
     それは偏に劉邦の人柄がそうさせたのでしょう。
     と、こういうのは簡単です。しかし、実際に劉邦がどのような人物で、どのようにして配下の人間を惹き付けたのかということを誰にでも分かるように説明するのは至難の業だと思います。筆舌に尽くし難い人間の魅力というものは実際に存在すると私は思うからです。
     この司馬遼太郎氏の『項羽と劉邦』では劉邦の人柄について誰でも理解できるようにかなり厚く綴られています。
     なぜ、劉邦は見捨てられなかったのかということが分かるばかりでなく、自分も劉邦のような人の下で働きたいなとさえ思いました。
     劉邦は戦国時代の本業である戦では項羽に勝てませんでしたが、本業のバックにある人生という人間としてもっとも大切な土俵では項羽に圧勝しました。
     現代において人生という土俵で勝つためにこの『項羽と劉邦』は少なからず参考になるかもしれません。
     ソレデハ…

    上巻を読んだあと、買っておいた下巻を読んで「あれれ?なんか話がおかしいぞ?」と思い、カバー折り返しを見て初めて「中巻あるんだ!」と気づきました。小遣いの少ない時分でしたので痛からざる出費でしたが上巻ですでに本作の虜になっていた私は迷わず購入しました。中巻ではついに項羽と劉邦、二人の英雄が大陸の覇権を巡って対立する様が書かれます。非常に有名な楚漢戦争のハイライト「鴻門の会」を境に逆転し始める両雄の運命が対照的、粗野でごろつき丸出し・しかし憎めない劉邦と精悍で潔癖・情に篤いが自ら敵を作ってしまう項羽の人間性も対照的です。結果は歴史の教科書をめくれば分かりますが、そこに到るまでの人間の野望や葛藤、歴史の面白さはそこにこそあると私は思います。
     滅びた韓の宰相の子である張良は、秦への復讐を胸に劉邦の陣営に馳せ参じる(彼は始皇帝の巡幸を襲って失敗したこともある)。ここでも劉邦の虚心坦懐さ、「空虚さにともなう包容力」が張良が幕僚となる決め手となる。ちなみに、王欣太の「蒼天航路」は、この「項羽と劉邦」の影響を結構受けているのではないか。司馬遼太郎の劉邦像と王欣太の劉備像には共通点が多い。
     項羽が章邯に手間取っているうちに、劉邦は関中に入ることに成功。趙高は、秦の危機について何も教えてなかった胡亥を暗殺(事態がバレたらさすがの胡亥も怒るので)。胡亥の首を手土産にしようと考えたのかもしれない。甥の子嬰(しえい)を立てるが、子嬰は趙高を殺す。劉邦は、関中慰撫のため、子嬰は殺さない。始皇帝の愛人たちを犯すのが楽しみだった劉邦だったが、旧秦に反感をもたれてもこまるので泣く泣く我慢。劉邦は、女好き、無学、おちゃめ(?)、という描かれ方。
     その後、章邯を降した項羽は、鴻門に陣取るが、劉邦は項羽に侘びを入れに行く。劉邦を殺す気満々だった項羽もほだされてしまう。項羽は、卓絶した武人で、ケチで、でも、士卒思いで、単純な感激屋、みたいな描かれ方。項羽を支えてきた老軍師・范増(はんぞう)は、劉邦を殺せなかったことで項羽をバカにする。
     項羽は、子嬰をあっさりと殺す。都も焼き払う。そして、「故郷に錦を飾る」として、守りにくい地形の故国に帰還する。擁立していた楚の懐王(もとの名前は「心(しん)」)も殺す。劉邦は漢中という当時の大田舎に移封される。このとき、項羽のもとにいた韓信が劉邦のもとへ参じる。韓信は下っ端だったが、劉邦帷幕の蕭何(しょうか)が、韓信の才能を見抜き、韓信は重用されることになる。
     項羽は、関中に章邯らを配していたが、旧秦にとって章邯は裏切り者。章邯は韓信に破れて自殺することになる。項羽の人材配置のまずさから、あちこちで反乱が起こる。劉邦も、懐王を殺した項羽を攻める、という大義を得て、各地の王とともに叛く。諸王に檄文を発したことにより、劉邦はなんとなく盟主的立場に収まる。10万以上の大軍となって、項羽の居城(当時、項羽は留守)を攻め落とす。ここではさんざん虐殺略奪。が、項羽が戻ってくるとたちまち蹴散らされる。この時、子どもを捨てながら馬車で逃げる劉邦の描写も「蒼天航路」の劉備っぽい。
     劉邦は、籠城することになり、項羽に攻め立てられる。帷幕の陳平の策により、項羽が部下を疑うように仕向けていく。范増は、みすみす劉邦の策にひっかかる項羽を見切り、項羽を離れてしまう。最後は、紀信が替え玉となって、劉邦はついに城から脱出成功。
    司馬遼太郎さんの中国歴史小説です。中巻では、いよいよ項羽と劉邦の微妙な関係になっていきます。劉邦は戦いに弱いけど、人を魅き付ける何かを持っている男として描かれています。人間性と人間社会を考える上で、とても教訓的な歴史小説だ
    生きるために、食物を得るために、戦って領土を拡げるしかなかった時代。
    たくさんの登場人物が出てきますけど、その誰もが惹きこまれる個性を持っています。もし、この時代に生きていたら自分はどの人のように振舞っていただろう?と考えさせられまし
    この本は、中国の歴史書として、代表的な戦国史だと思います。項羽と劉邦が争っていく中で、真のリーダーとはど

    ういう人物か、を教えられました。

    項羽と劉邦、全3巻のうち中巻。上巻ではあまり出番のなかった劉邦が話の中心で、劉邦軍のなかでは、張良、れき食其(れきいき)、韓信(股くぐりの話p151の紹介を含む)、紀信の活躍などが描かれる。逆に項羽軍の話は少なく、項羽が亜父(あふ、本書ではあほ)と呼ぶ范増、黥布(英布)らが少し取り上げられるだけで、季布、鍾離'(しょうりばつ、本書では、しょうりまい)、龍且らの名将の出番はほとんどない。女性では、呂雉以外には登場場面はすくなく、戚夫人は数行の登場のみで、虞姫(虞美人)はまだ登場しないが、夏侯嬰(かこうえい)の幼馴染(かんかん)が活躍(この部分は創作が多く含まれているであろうだけに逆に物語としては面白いp246)。上巻に比べ、鴻門の会など名場面や戦闘にからむシーンも多く、読むスピードは格段にあがる。司馬遼太郎は、劉邦は無能だが”侠(きょう)”のある人物としている。”侠”の精神とは、“いったん結べば、すべての保身、利害の計算をすてて互いに相手を守りあうという”というもので、無打算が'の本質であり、張良と項伯の関係がそれであるとしている(p115)。鴻門の会において、項伯に“項羽軍の機密を洩らすことは、張良への恩返しという個人の大事からみれば塵芥(ちりあくた)ほどにちっぽけな雑事にすぎない(117)”と語らせている。この時代は、人が釜茹で処刑されたり(周苛しゅうかp435)、陳平が離反(りはん)の計で、項羽と范増との仲を裂こうとしたり(p372)、非道な事件が多いだけに、このくだりは読んでいて気持ちがよい。本巻には解説はなし。

    項羽:富貴を得て故郷に帰らないというのは、夜、錦(にしき)を来て歩くようなものだ(故郷に錦を飾るの由来p162)

    韓信:項羽の勇悍(ゆうかん、勇敢という以上の積極的な精神能力。戦場におけるたけだけしさ)は、有能な将軍に物をまかせるという性格を持っておらず”匹夫(ひっぷ)の勇”で、項羽の仁強(じんきょう、仁以上の倫理感情)は物を惜しむこと甚だしく”婦人の仁”で脆(もろ)い。大王(劉邦)は、項羽と反対のことをなさればよいのです。武に長けた者は任用し、功をたてれば惜しみなく天下の城邑(まち)をおあたえなされ。p203

    夏侯嬰:士(し)とは、自覚的なものだ。みずから主を選ぶ者のことをいうのだ。p253

    項羽と劉邦は、ゆっくり読みました、BSフジで連続番組があり、
    中古なので若干の変色はありましたが、全体的には非常にきれいでした。品物も予定通り到着し、満足です
    ※下記のレビューは中巻を読んだ段階のものである。
     やはり、全体的に淡々としていて盛り上がりに欠けている、という印象。鴻門の会とか、みどころはいろいろあるはずなのだが、全体的に物語的(同じ目線的)というよりは解説的(俯瞰的)というのもある。
     当時は封建制というのは上からかぶさってくるようなもので、侠(きょう)という相互扶助精神により下層民が結びつくことで社会が構成されている。劉邦は、中国史上唯一の無学の農民から皇帝になった人だが、これは「侠」という価値観に基づく集団形成が寄与したのかも。
     滅びた韓の宰相の子である張良は、秦への復讐を胸に劉邦の陣営に馳せ参じる(彼は始皇帝の巡幸を襲って失敗したこともある)。ここでも劉邦の虚心坦懐さ、「空虚さにともなう包容力」が張良が幕僚となる決め手となる。ちなみに、王欣太の「蒼天航路」は、この「項羽と劉邦」の影響を結構受けているのではないか。司馬遼太郎の劉邦像と王欣太の劉備像には共通点が多い。
     項羽が章邯に手間取っているうちに、劉邦は関中に入ることに成功。趙高は、秦の危機について何も教えてなかった胡亥を暗殺(事態がバレたらさすがの胡亥も怒るので)。胡亥の首を手土産にしようと考えたのかもしれない。甥の子嬰(しえい)を立てるが、子嬰は趙高を殺す。劉邦は、関中慰撫のため、子嬰は殺さない。始皇帝の愛人たちを犯すのが楽しみだった劉邦だったが、旧秦に反感をもたれてもこまるので泣く泣く我慢。劉邦は、女好き、無学、おちゃめ(?)、という描かれ方。
     その後、章邯を降した項羽は、鴻門に陣取るが、劉邦は項羽に侘びを入れに行く。劉邦を殺す気満々だった項羽もほだされてしまう。項羽は、卓絶した武人で、ケチで、でも、士卒思いで、単純な感激屋、みたいな描かれ方。項羽を支えてきた老軍師・范増(はんぞう)は、劉邦を殺せなかったことで項羽をバカにする。
     項羽は、子嬰をあっさりと殺す。都も焼き払う。そして、「故郷に錦を飾る」として、守りにくい地形の故国に帰還する。擁立していた楚の懐王(もとの名前は「心(しん)」)も殺す。劉邦は漢中という当時の大田舎に移封される。このとき、項羽のもとにいた韓信が劉邦のもとへ参じる。韓信は下っ端だったが、劉邦帷幕の蕭何(しょうか)が、韓信の才能を見抜き、韓信は重用されることになる。
     項羽は、関中に章邯らを配していたが、旧秦にとって章邯は裏切り者。章邯は韓信に破れて自殺することになる。項羽の人材配置のまずさから、あちこちで反乱が起こる。劉邦も、懐王を殺した項羽を攻める、という大義を得て、各地の王とともに叛く。諸王に檄文を発したことにより、劉邦はなんとなく盟主的立場に収まる。10万以上の大軍となって、項羽の居城(当時、項羽は留守)を攻め落とす。ここではさんざん虐殺略奪。が、項羽が戻ってくるとたちまち蹴散らされる。この時、子どもを捨てながら馬車で逃げる劉邦の描写も「蒼天航路」の劉備っぽい。
     劉邦は、籠城することになり、項羽に攻め立てられる。帷幕の陳平の策により、項羽が部下を疑うように仕向けていく。范増は、みすみす劉邦の策にひっかかる項羽を見切り、項羽を離れてしまう。最後は、紀信が替え玉となって、劉邦はついに城から脱出成
    上巻から同じく、ドキュメンタリータッチで書かれているため、歴史ドラマとしての盛り上がりがない。また、時系列どおりに記述されているわけではなく、登場人物ごとに記述されているため、よく時間が前後する。上巻に同じく星1つ
     中巻のみの読後感です。

     お話はいよいよ劉邦の関中入りから、彭城での敗戦、敗走、栄陽城籠城、そして紀信と
    周荷のお話に続きます。

     司馬遷の史記というのは、よほど偉大な作品なのでしょう。横山作品と、司馬作品では、
    韓信の割符、蜀から関中入りのお話に相違がある以外には、殆どその差がありません。
    原作の偉大さが伺われます。

     そこはそこで、やはり司馬作品ならではの特徴を挙げるとしたら紀信と周荷のお話で
    しょう。同じように横山作品でも感動を誘うお話として描かれていますが、司馬作品では、
    味付けがされており、男心を描いたストーリーとして描かれており、秀逸です。

     横山作品でも劉邦は弱かったのですが、韓信とともに関中に入る際、連戦連勝。ここまで
    弱い印象はありません。ところが司馬作品では、劉邦はとにかく弱い。弱くて、だらしが
    なくて、助平で。
     どうして周荷と紀信のお話があるのかと不思議に思います。それが、中巻の問題提起なの
    かもしれません。

     お勧めです。
    項羽が章邯との戦いに手間取っている隙に劉邦が関中に入るところから、鴻門の会で項羽に許しを請うた劉邦が漢中へ飛ばされ、再起して彭城を取るも項羽の反撃に会って潰走するところまでが描かれる。

    上巻では劉邦の人を惹き付けるものが一体どのようなものであったのか−「空虚」という大きな器−が描かれていたが、中巻では惹きつけた人材を劉邦が活かす様が良く描かれている。

    張良の進言によって自ら立案・指示した戦略をも簡単に撤回する、まさに朝礼暮改を地でいくその様を評する司馬遼太郎の言葉が良い。

    「劉邦はただ、『おのれの能くせざるところは、人にまかせる』という一事だけで、回転してきた。」

    項羽がそのカリスマ性によって「この人に付いていきたい」と思わせたのに対し、劉邦はその空虚さで「この人を支えてやらねば」と思わせた。であれば、そうして自分を御輿に担ぎ上げた人材を活用せねばならないが、劉邦の凄いところは、エゴを捨て自分の無能力を認めてでもこれを徹底したところなんだろう。

    「空虚」という器は真似して得ることはできないが、この『おのれの能くせざるところは、人にまかせる』という姿勢は、自身の心の鍛錬次第で、身につけることができるのではないだろうか。

    配送说明

    ...

    为你推荐

本店分类