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  • 村上春树新ねじまき鳥クロニクル!奇鸟行状录第1部泥棒かささぎ編 新潮文庫 村上春樹著发条鸟年代记The Wind-Up Bird Chronicle畅销早期人气上升诺贝尔文学奖候选亚马逊日语论文多
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  • 作者: 
  • 出版社:   日本 新潮文庫 the Wind-Up Bird Chronicle畅销早期人气上升诺贝尔文学奖候选亚马逊日语论文多
  • 出版时间: 
  • 版次:   1
  • 印刷时间:   2004-01
  • 印数:   3千册
  • 装帧:   软精装
  • 页数:   312页
  • 字数:   379千字
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  • 出版社:  日本 新潮文庫 the Wind-Up Bird Chronicle畅销早期人气上升诺贝尔文学奖候选亚马逊日语论文多
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    外文原版 > 日文书 > 文学
    货号:
    1369-16516-scmknmtk1
    品相描述:全新
    村上春树新品 ねじまき鳥クロニクル=奇鸟行状录第1部泥棒かささぎ編 新潮文庫 村上春樹著发条鸟年代记The Wind-Up Bird Chronicle畅销早期人气上升诺贝尔文学奖候选亚马逊日语论文多
    「人が死ぬのって、素敵よね」彼女は僕のすぐ耳もとでしゃべっていたので、その言葉はあたたかい湿った息と一緒に僕の体内にそっともぐりこんできた。「どうして?」と僕は訊いた。娘はまるで封をするように僕の唇の上に指を一本置いた。「質問はしないで」と彼女は言った。「それから目も開けないでね。わかった?」僕は彼女の声と同じくらい小さくうなずいた。(本文より)ねじまき鸟クロニクル奇鸟行状录发条鸟年代记The Wind-Up Bird Chronicle
    僕とクミコの家から猫が消え、世界は闇にのみ込まれてゆく。―長い年代記の始まり。文庫: 312ページ
    出版社: 新潮社; 改版 (1997/9/30)
    商品描述:
    村上春树新品 ねじまき鳥クロニクル=奇鸟行状录第1部泥棒かささぎ編 新潮文庫 村上春樹著发条鸟年代记The Wind-Up Bird Chronicle畅销早期人气上升诺贝尔文学奖候选亚马逊日语论文多
    ねじまき鸟クロニクル奇鸟行状录发条鸟年代记The Wind-Up Bird Chronicle
    ねじまき鳥クロニクルの「あの部屋」って「人間の精神の一番ややこしい部分」を描いてるのかな、と最近考えています。気難しい部分というか。どんな人だって「気難しい部分」っていうのを持っていて、例えば、他人との会話の中で、自分の大問題に対して安易な共感をされたり、何かをしようと思うとき「お前はそんなんじゃないやん?」みたいな押し付けをされたり、いろいろあると思うけど、心の奥の方が痛んで仕方がない時がある。自分の中の「気難しい部分」に他人の行動や言葉が触れて、気が狂いそうになる。親や友達とかあらゆる周りの人との関係の中にそういうのってあって、自分も他人に対してしてるかも知らないから、本当に気を付けないとだめなんだけど。
     そして、そういうものが人生を通して積み重なっていって、神経症になったり、「自分はダメだ」と閉塞感に陥ったり、突発的な異常行動に走ってしまう。それが、この小説では、主人公とクミコの関係を通して描かれてる。
    「井戸」の意味は相手を理解するためには、まず自分の「気難しい部分」と向き合い、見つめ、あらゆる要因(トラウマとか、その人の心が自由になるのを妨げる何か)によって生きることに行き詰っている他者の「気難しい部分」に気付けってことだろうか。ワタヤノボルの存在は、その人の「気難しい部分」を痛めつける象徴だと考えれば、複雑な物語が一気にクリアになる。
     結局、「その人のことを理解出来た」と思った瞬間、その人のことを知ろうとする努力をすることを止めて、その人の「気難しい部分」を痛めつけるようなことを知らず知らずの内にしてしまうんだろうし、それだから、家族とか親しくなりすぎた友人との関わり合いって、難しいのだろうな。だから、他者との関係の中では、「こいつはこうだ」とか決め付けるのではなく、もっと「知らないことのほうが圧倒的に多い」という「開かれた心」を持って接しないといけない、と最近、改めて考えています。ややこしい物語だけれど、お薦め。

    これだけの長大な物語を読ませきってしまう村上春樹の力はやはりたいしたものだと思う。

    高校時代に初めて読んだが、あまりにも先の展開が気になって、学校もズル休みして、ほとんど徹夜で2日間で読みきった。

    当時はあまりにも深いその小説世界に戸惑いを覚えていたが、何度か読み直してみたところ、今ではなんとなく内容がつかめてきた・・・と言いたいところだが、相変わらずその圧倒的な世界観に今でも戸惑っている。

    すごいなとは思うが、面白いなというところにはたどり着けない。おそらく理解するのにまだまだ時間がかかるだろう。

    ただはっきりと言えることは、笠原メイは魅力的な女の子だ。

    また『ねじまき鳥クロニクル』を読む、もう何回読んでるかわからない、
    特に第1部、第2部が好きですね、そこにこの作品の「初心」が入ってる気がするんです、
    たしかに第3部は村上春樹のその頃の新境地とも言えるけれど、まだ生硬というか無理してる感じがある、それも悪くないけれど、それまでの村上春樹世界の到達点が出ている1、2部が好きですね。

    なんというか、その作品世界では「僕」は深い森のなかに迷い続けて、ときおり不思議な女性たちから何かの暗示を受ける、しかしそれはどこから来たものなのかわからない、
    または不吉な危険が黒い影のように通り過ぎる、しかしそれもどこから来たものかよくわからないのだ、

    すべては深く暗い森から来て、よくわからない暗示や危険を残して去る、なにも解決はされない、
    そこで「僕」は迷い続け、それらのわけのわからないものたちに翻弄され、失われてゆく・・・

    それが1、2部の概略であるように自分は見ます。
    よくある読み方として、それらのよくわからないあらわれを、そこに意味があるものとして読む方法がありますが、自分としてはそうした読み方に疑問があるんですね。

    この「ねじまき鳥クロニクル」という作品世界の良さは、そのよくわからないあらわれを、よくわからないまま、ばらばらなままに受け取って、それを意味づけたり統合したりしない方が、不思議な快感を味わうことができるんです、
    たぶんその快感が無ければ、繰り返し読むことはしなかったと思うんです。

    この「よくわからないものたちが、ばらばらのままあらわれてくる」ということは、現実にもあります、が、もしこの作品のようにそれが激しい現れ方をしたら、人は統合性を、ものごとのつながりを失って危険なところに出てしまうでしょう、
    私たちが踏みとどまっているこちらがわの、その向こう側を見せてくれるからこそこの作品は魅力的なので、もしこれを統合した意味がわかるものとして、こちらがわの世界として解釈したら、その魔的な魅惑は失われてしまうと思うのです。
    だからこの作品を統合された意味として読むのには、自分は反対です。

    何よりも大切なのは、自分がまず深い森に入り込んで迷い、多くの不思議なよくわからないものと出会うことだと思います、
    そこで「僕」はこちら側の世界から離れた、いわば浮遊したものになり、その浮遊はなにか懐かしいものを感じさせてくれるのです。
    (まあ、現時点での自分にとっては、ということですが)

    その、離れた、浮遊した、懐かしいものとはなにか、と考えてみますと、自分の印象では「幼児から見た母との関係」ではないか、というイメージが浮かびます。
    言ってみれば幼児には、母というのがなぜそこにいるかわからないんですね、でもすべてはそこからくる、良いものも悪いものもそこからくる、でもなぜかは幼児にはわからない、そういうものをその浮遊感は思いださせるんです。
    いわば判断不能状態での全的受容、のようなものかな、、、

    まあ村上春樹の作品について、母との関係をイメージするのは、評論として平凡ではあるけれど、自分としてはやはりどうしてもそこに行ってしまいますね、、、

    だから自分にとって『ねじまき鳥クロニクル』を何度も読み返す行為は、深い森のなかに出かけて行って迷い、ふしぎな花や不気味な生き物と出会うこと、または幼児の原体験として全的な母との関係の中に還ることのようなものなのかもしれません。

    でもさきに述べたようにそれは第一部、二部でのものであり、それまでの村上春樹世界の到達点を示すようなものではあるけれど、また第三部は違うんです。
    そこからは村上春樹自身が転換点だと言うように、いわば深い森から抜け出す道を探る闘いであった、とも思うんです。
    でもそれが成功したのかどうか、自分にはよくわからないところがあって、評価に迷います。
    ただ、その深い森の中で迷う「僕」を救い出そうとする試みがなされたことはわかります。
    そしてそれは自分にはまるで、母から離れる方法を見つけ出そうとしているようにも見えて、、、なんだかそこがよくわからないです。

    そうしたことがわからないままにしていたいのかも、どうなんだろうな。
    そうしたことを考えて、また読んでみます。
     

    村上氏の長編小説の中で何回も読む気になるのは、この作品である。主人公である岡田亨をはじめとして、笠原メイら、悪として登場する綿谷昇も含めて、登場人物も魅力に富んでおいる。またプロットも妻であるクミコが逃げ出すところから始められており、パスタを茹でるところは村上氏らしいが、氏のほかの長編小説同様だが、読者を飽きさせるところがない。

    特に印象深いのは、井戸に降りていくところだろうか。氏は、自分は小説を書く時には深く地下に降りていかなくては良い作品がかけない、と語っていたことがあった。主人公が自分を探るようにして、地下にもぐっていくところは、氏が深く地面に潜っていく姿と重なって、情景が目に浮かぶようである。またもう一つは、作中で重要な役割を果たす間宮中尉の目の前で、山本と言う男が悲惨な死を遂げる場面である。この小説では、暴力が大きな比重を占めているようだ。

    ところで最近の作品である「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」、「1Q84」を読むと、この「ねじまき鳥クロニクル」に比べるとだいぶ劣る感じがする。「色彩を持たない……」は、一般に評判の悪い「アフターダーク」よりも内容に乏しいし、「1Q84」はオーム真理教を想定しているのだろうけれども、単なる読み物でしかないように思われる。村上春樹に対しては、とても甘い評価が多かったのだが、「ねじまき鳥……」の頃の村上に比べると訴えるところの貧しい作品が多くなっているような気がする。

    奇想天外なストーリイといいシュールぽい場面場面と良い兎に角面白い。
    タビューで著者が初めて夫婦間を描けた、と述べていましたが、確かに今までのようにストーリー展開のなかでの恋愛はあっても
    初めからこの小説では夫婦間の関係の齟齬から始まっていますね。結果、予め成立した社会的関係の崩壊とその修復の試みなり清算なので、この著者には珍しく観念的で形而上の概念を使っての文章の比重が多めです。結局、井戸というのも周囲の雑念なりを徹底的に排してその暗がりの中で延々と今までの関係なりを実存的なレベルで探っていくとともに、主人公の出会う特徴的な人物との繋がりをきっかけに精神的な深さや時間軸を遡って精神的な冒険をすすめていくための象徴的な舞台のような気がしました。

    三部通しての感想です。これは、もし完全な悪というものが存在するなら、それが人間の形をしていようと破壊、つまり殺していいと言っているとしか思えなかった。以上。

    彼は戦争を描写することで自分の作品の格を上げようとしていますね。
    ストーリー展開も、自分の思う方向に進ませるためなら、万難を排除します。ありえないほどに。

    海外では高い評価を受けるようですが、翻訳されることで何らかの変化が起こるのでしょうか。
    正直、ノーベル賞どうこうは理解できません。

    長々と3冊分も書いたのは大したものだと思うので星二つ。

     全三作で結構な分量があるのですが、二日間で読んでしまうくらい惹きこまれました。個人的には、主人公が井戸(id)にもぐりこんで、そこから深層意識?の世界に移動してゆくところがすごくドキドキしました。人によって、色々な受けとり方ができる奥行きの深い作品だとおもいます。個人的には、1Q84よりも繰り返し読み返したくなる中毒性を感じました。何度も読みたくなる、名作だと思います。

    村上氏は本著でテーマや意味性を提示していないように思う。氏が我々に現前させたのは「迷路」であるように感ぜられる。全ての人は心の内奥に得体の知れない「悪しき何か」を内包している。その「悪しき何か」は時に暴力を伴う行動或いは言語となって人の表面に発現する。世界中で繰り広げらる目を覆いたくなるような暴力、例えば斬首・絞首・銃殺などは、その「悪しき何か」が猛りを見せたときに現れる最も典型的なものだ。
    本著を読んだ後、暴力的な物事が遠い世界の特殊な事象とは思えなくなってくる。私を含め、あらゆる人は心の中に「悪しき何か」を有しており、それを飼いならし発現を抑える人が大多数を占める一方、肥え太らせ猛獣に育て上げる人もいる。「悪しき何か」の凶暴性を極端なまでに心の中で高めてしまった人物の一人が、本著の皮剥ぎボリスであろう。しかし、飼いならし発現を抑えている人であっても、それは諸条件により偶然発現を抑えられているだけであり、誰もが皮剥ぎボリスの如く悪しき精神性を持つ可能性があるのではないか。そう思ったとき、戦慄を感じた。本を閉じ、しばしのメディテーションが私には必要であった。
    本著が提示する「迷路」の曲がり角で現れるのは単に「暴力」だけではない。「迷路」には、猫の失踪があり、ノモンハンの謎の文書があり、山本の最期の断末魔があり、井戸の中での恩寵の光があり、間宮中尉の空っぽの形見があり、消えた妻の姿がある。つまり、人類の心の錯綜を体現するかのような不気味なモティーフが「迷路」の随所に現れる。しかも、その「迷路」には出口がない。むしろ、読み始めた時には小さかった迷路が、読み終えた時、想像以上の大きさとなり我々の前に佇んでいる。
    本著は我々の心にある「悪しき何か」に思いを至らせてくれる。しかし、良い意味で掴みきれず「何か」としかいいようがない。本著は禅の公案のように私達の目の前に読む度に違う姿を見せるであろう。しかし、その「何か」が何であるのかは、「神のみぞ知る」としかいいようがない。

    この小説(?)はこれが執筆された時代より、今のほうが、よりしっくりくると思う。基本的に2つの問題を我々に投げかけている。1つは、自他問わず、人間の持つ多面性とどのように付き合うのか、もうひとつは我々が置かれている時代がいったいどうなっているのか、どの方向に進んであるのか、というテーマです。

     人間とは、あるいは自分とは何なのか、を見つめることのできる場所が“井戸”であり、主人公が含まれる時代を前に進めるカギが入っているのが間宮中尉が、ノモンハンで一緒だった本田さんから預けられてきた風呂敷包みの中の小さな箱で、・・・・・当然、その箱は空で、その時代に生きる人それぞれが、自分でエンジンをかけ、ギーギーと啼く“ねじまき鳥”のように前に進むしかないのですが・・・・・。
     人間の持つ多面性について言えば、主人公トオルは、妻クミコの兄、綿谷のぼるでもあるし、一方、クミコは謎の電話の女でもあるのですが、不思議な姉妹の妹クレタであるとも言えると思います。

    この本が執筆された時代が、日本全体が最高潮から下り坂に入りかけた時代(多くの人はそのことに気づいていなかった、或いは、気がつかない振りをしていた)であったことを考え合わせると、村上春樹の先見性に感心させられます。時代が、いったんあるレールの上に乗っかってしまったら、そこから降りるのは容易な事でないということを明示した論理性に、率直に脱帽します(レトリックかもしれませんが・・・)。

    ただ、もう少し、この小説の良さを損なうことなく、コンパクトにまとめることができると思います。余計なお話が多すぎ、遊び心、過剰では、と思います。

    彼が言うように、「世界に完璧な絶望が存在しないように、完璧な小説も存在しない」

    私は、村上春樹初心者です。同じテーマで、同じ実験結果が与えられても、研究者の最終の結末である論文のクオリーティーに天と地ほどの差ができてしまいます。その観点で言えば、村上春樹はこれまで誰も思いつかなかったような小説(の型)を提示したという点で、天才的な凄さを感じます。ねじまき鳥クロニクルの「あの部屋」って「人間の精神の一番ややこしい部分」を描いてるのかな、と最近考えています。気難しい部分というか。どんな人だって「気難しい部分」っていうのを持っていて、例えば、他人との会話の中で、自分の大問題に対して安易な共感をされたり、何かをしようと思うとき「お前はそんなんじゃないやん?」みたいな押し付けをされたり、いろいろあると思うけど、心の奥の方が痛んで仕方がない時がある。自分の中の「気難しい部分」に他人の行動や言葉が触れて、気が狂いそうになる。親や友達とかあらゆる周りの人との関係の中にそういうのってあって、自分も他人に対してしてるかも知らないから、本当に気を付けないとだめなんだけど。
     そして、そういうものが人生を通して積み重なっていって、神経症になったり、「自分はダメだ」と閉塞感に陥ったり、突発的な異常行動に走ってしまう。それが、この小説では、主人公とクミコの関係を通して描かれてる。
    「井戸」の意味は相手を理解するためには、まず自分の「気難しい部分」と向き合い、見つめ、あらゆる要因(トラウマとか、その人の心が自由になるのを妨げる何か)によって生きることに行き詰っている他者の「気難しい部分」に気付けってことだろうか。ワタヤノボルの存在は、その人の「気難しい部分」を痛めつける象徴だと考えれば、複雑な物語が一気にクリアになる。
     結局、「その人のことを理解出来た」と思った瞬間、その人のことを知ろうとする努力をすることを止めて、その人の「気難しい部分」を痛めつけるようなことを知らず知らずの内にしてしまうんだろうし、それだから、家族とか親しくなりすぎた友人との関わり合いって、難しいのだろうな。だから、他者との関係の中では、「こいつはこうだ」とか決め付けるのではなく、もっと「知らないことのほうが圧倒的に多い」という「開かれた心」を持って接しないといけない、と最近、改めて考えています。ややこしい物語だけれど、お薦め。

    これだけの長大な物語を読ませきってしまう村上春樹の力はやはりたいしたものだと思う。

    高校時代に初めて読んだが、あまりにも先の展開が気になって、学校もズル休みして、ほとんど徹夜で2日間で読みきった。

    当時はあまりにも深いその小説世界に戸惑いを覚えていたが、何度か読み直してみたところ、今ではなんとなく内容がつかめてきた・・・と言いたいところだが、相変わらずその圧倒的な世界観に今でも戸惑っている。

    すごいなとは思うが、面白いなというところにはたどり着けない。おそらく理解するのにまだまだ時間がかかるだろう。

    沢山春樹を読み過ぎて、これは全く面白く感じない、春樹の灰汁で塗り固められてる、それが好きって言う人もいると思う。

    1Q84とか読む前にこっちを先に読んでいれば、良かったのかも知れないけど、他の春樹を読んだ後にコレ読むのはきつい!

    なぜ、これにひかれたのか、
    なぜなんだろ。
    でも読みたかったのは
    読むべしですね。

     他のレビュァーの方の評で、ノモンハンのことでたまたま、興味を持ったとの話があり、興味を持って中古本で一巻目を手にした。
    非常に読みやすいので驚いた。
    最近の芥川賞の作品などを読むと年をとったからか、つまらぬことをねちねちと、書いてある小説が多いので、基本、本代の無駄なので
    読まないことにしている。
    ところが、1ページ目から、スーッと読めるし、感情移入もできる。成る程、これは相当なファンがいるはずだなと確信した。
    一つ一つの文章が短く、時々、立ち止まるように、寓話や箴言が盛り込まれていて、飽きさせない。
    基本、経済史や歴史書しか読まない理由は、事実は小説よりも奇なりだからである。
    戦記物がすきなのは、生きるか死ぬかの時に、人はその人格、人間の持てる力を出すから、面白いのである。
    なにかこう、頭の中でひねくりだした、凝ったものを読んでもピンとこない。
    この小説は、まず、人間の究極な残酷さと空虚さの表現だろう。残酷なロシア人の振る舞いは、実際、シベリアに送られた人々の
    感情や、出来事への思いが下敷きになっているようだ。
    レモン・ドロップや謎の少女など、小道具もうまい。

    人の魂の奥底に眠るものを善用するか、それとも悪用するか
    そしてその暗がりに巣くう悪意や暴力を引き起こすものとは一体何か

    魂の力を使って人々を癒し、物事を正しい方向へと導く霊能力者たちと、その闇を引き起こす出来事や人たち(歴史上の戦争から、現代へと続くその血塗られた家系まで)の戦い

    目には見えないねじまき鳥(世界中のねじを巻く鳥)の鳴き声が、その負の連鎖に晒された人々がふと耳にする声として登場する
    これはそのねじまき鳥の声を聴いた者たちの年代記(クロニクル)である

    人々はいつの時代も水に流されるように、善と悪に流されるようにして生きている
    正しさに導かれるにはどうすればいいのか

    冒頭から一気に引き込まれる小説です。
    主人公が聴く音楽、作る家庭料理、起こす行動、
    どこを切り取っても文句なく面白い。
    そして摩訶不思議な世界。
    読めば読むほど手放せなくなる1冊です。

    主人公の住む家の近くに空き家がある。そして、その空き家の庭に井戸があり、主人公はその井戸の底に降りて地上から離れるのだが、この行為は文字通り現実世界からの隔絶を目指した行為ではなかろうか。

    そもそも主人公は本作の冒頭から無職であり、行動範囲は近所付近までの小さな世界に限定されている。とはいえ、彼は結婚しており、親族もいて、多少なりとも他者とのつながりは持っている。小さな世界にいようが、現実世界と関わって生きているのだ。しかし、そういった他者とのつながりが求められる現実世界と付き合うとき、自己そのものが周りの影響で知らぬ間に変化してしまい、気がつくと自分自身とはなにかという問い、すなわちアイデンティティの喪失に行き着
    ねじまき鳥のねじを巻く音が聞こえてきそう。

    (
    遅れてきた村上春樹ファンにおすすめ。遅れてきた、村上春樹ファン。文庫本でそろえて読んでいきたいと思いねじまき鳥クロニクルの「あの部屋」って「人間の精神の一番ややこしい部分」を描いてるのかな、と最近考えています。気難しい部分というか。どんな人だって「気難しい部分」っていうのを持っていて、例えば、他人との会話の中で、自分の大問題に対して安易な共感をされたり、何かをしようと思うとき「お前はそんなんじゃないやん?」みたいな押し付けをされたり、いろいろあると思うけど、心の奥の方が痛んで仕方がない時がある。自分の中の「気難しい部分」に他人の行動や言葉が触れて、気が狂いそうになる。親や友達とかあらゆる周りの人との関係の中にそういうのってあって、自分も他人に対してしてるかも知らないから、本当に気を付けないとだめなんだけど。
     そして、そういうものが人生を通して積み重なっていって、神経症になったり、「自分はダメだ」と閉塞感に陥ったり、突発的な異常行動に走ってしまう。それが、この小説では、主人公とクミコの関係を通して描かれてる。
    「井戸」の意味は相手を理解するためには、まず自分の「気難しい部分」と向き合い、見つめ、あらゆる要因(トラウマとか、その人の心が自由になるのを妨げる何か)によって生きることに行き詰っている他者の「気難しい部分」に気付けってことだろうか。ワタヤノボルの存在は、その人の「気難しい部分」を痛めつける象徴だと考えれば、複雑な物語が一気にクリアになる。

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